芥川龍之介といえば、歴史や国語の教科書でおなじみの神経質そうな顔が重い浮かばれる。むかし、怪優、竹中直人が顔マネしていたのを思い出す。その芥川龍之介の地獄の話で有名なのが「蜘蛛の糸」。その他にも芥川龍之介全集を見ると「地獄変」「孤独地獄」と地獄がテーマの話がある。さらに「杜子春」にも地獄の場面があるぞ。
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杜子春 これまた、余りにも有名な話だな。この話にも地獄が出てくる。
唐の都洛陽で、その日の暮らしにも困っている、哀れな杜子春という若者に老人が云う。
「今この夕日の中に立って、お前の影が地に映ったら、その頭に当たる所を夜中に掘って見るがよい。きっと車に一ぱいの黄金が埋まっている筈だから」
云われた通りにした杜子春は、一日の内に大金持ちになった。すぐに立派な家を買い、贅沢ざんまいの暮らしが始まった。しかし、3年もすると金を使い果たし、また元のその日暮らしに戻ってしまった。
すると、また老人が現れ、今度は「影の胸の所を掘れ」と云う。云われた通りにした杜子春は、また大金持ちになるが、また贅沢な暮らしを続け、またその日暮らしに戻ってしまう。
老人が三度現れ、今度は「影の腹の所を掘れ」と云う。が、杜子春は「金はもういらない。金持ちの時には追従し、貧乏になると挨拶もしない。そんな人間に愛想が尽きた。金などあってもどうしようもない」と云った。そして老人に、じつは仙人なのだが、弟子にしてくれと頼んだ。老人、いや仙人、鉄冠子は杜子春を「弟子にとりたててやろう」と云い、竹杖に乗ってともに峨眉山へと向かった。
鉄冠子は杜子春を峨眉山の絶壁の下の岩に座らせて、
「おれはこれから天上へ行って来るから、お前はここに座って待っていろ。多分おれがいなくなると、いろいろな魔性が現れるが、決して声を出すな。一言でも口を利いたら、お前は到底仙人にはなれない」と云った。
ひとり岩の上に座った杜子春の前に、次々と魔性が現れた。猛虎、大蛇、雷鳴轟く嵐。しかし、杜子春は言いつけ通り一言も発しない。次に神将が現れた。そして、何を聞いても黙然と口を噤んでいる杜子春に怒った神将は、ついに三叉の鉾で杜子春を突き殺してしまった。杜子春の魂は地獄に堕ちた。
と、ここから地獄の描写が書かれている。わたしも登場する。
この世と地獄の間には、闇穴道という道があって、そこは年中暗い空に、氷のような冷たい風がぴゅうぴゅう吹き荒んでいる。杜子春は風に吹かれながら、やがて森羅殿という額の懸かった立派な御殿の前に出た。階の上には一人の王様が、真っ黒なきものに金の冠をかぶって、いかめしくあたりをにらんでいる。 まぁ、これがわたし、閻魔大王だな。この後の杜子春とのやりとりは。
「こら、その方は何の為に、峨眉山の上へ座っていた」と閻魔大王が尋問するが、杜子春は言いつけ通りに黙して語らない。さらに閻魔大王は、
「その方はここをどこだと思う?速やかに返答すればよし、さむなければ時を移さず、地獄の呵責に遭わせてくれるぞ」と罵るが、杜子春は相変わらず唇一つ動かさない。そして、ついには杜子春は地獄へ鬼どもにひったてられてしまった。
そして、地獄での責苦の描写が続く。
剣の山、血の池、焦熱地獄の焔の谷、極寒地獄の氷の海、剣に胸を貫かれる、焔に顔を焼かれる、舌を抜かれる、油の鍋に煮られる、皮を剥がれる、鉄の杵に突かれる、毒蛇に脳味噌を吸われる、熊鷹に眼を食われる、などの責苦が書かれている。
そういった責苦でも、一言も口を利かない杜子春に、閻魔大王は暫く思案に暮れていたが、あることを思いついて、
「この男の父母は、畜生道に落ちている筈だから、早速ここへ引き立てて来い。」と云った。そして、体は痩せ馬だが、顔は死んだ杜子春の父母の二匹の獣が現れる。
結局、杜子春は、自分のために鞭打たれる父母の姿に涙し、その元に駆け寄り、「お母さん」と叫んでしまうのだ。
杜子春は仙人にはなれなかった。仙人、鉄冠子は
「お前が黙っていたら、おれは即座にお前の命を絶ってしまおうと思っていたのだ。」と杜子春に告白する。
「何になっても、人間らしい、正直な暮らしをするつもりです。」最後の杜子春の言葉だ。戻る 蜘蛛の糸 余りにも有名な話なので説明は不要だと思うが。
ひとりの罪人が血の池地獄で責苦にあっていると、上から銀色の糸が垂れてきた。この糸は極楽の蓮池の蜘蛛の糸で、御釈迦様がこの罪人が生前蜘蛛を助けたことがあるという理由で、極楽から地獄へ垂らしたものだった。
そして、この糸を上れば地獄から抜け出せると思ったこの罪人は、糸を上り始めた。で、罪人が途中まで上ったところで下を見ると、自分の他にもおびただしい数の罪人が上ってきていた。このままでは、重みで糸が切れてしまうと思ったこの罪人は、下に向かってこう叫んだ。
「こら、罪人ども。この蜘蛛の糸は己のものだぞ。お前たちは一体誰に尋いて、のぼって来た。下りろ。下りろ。」と。その途端、糸は切れ、罪人は暗の底へまっさかさまに堕ちて行った。
う〜む。まぁ、自分だけが助かろうとする無慈悲な心が仇になった、ということなのだろうが・・・すこし酷じゃないかな。地獄の責苦は想像を絶するほど、つらい。その責苦を受ければ、誰でも精神的に極限状態になるだろう。そんな精神状態で細い糸におびただしい人間がぶら下がっていれば、糸が切れまた地獄に戻ってしまう恐怖から、このように叫んでもおかしくないと思う。
冷静に考えれば、糸が切れないように一人一人順番に整然と避難すべきなんだろうが、パニックになってしまったんだろうなぁ。
御釈迦様からすれば御慈悲を見せた、ということなんだろうが、閻魔大王のわたしからすると、ただ罪人の心をもてあそんだような気もするなぁ。戻る 地獄変 良秀という横柄で高慢で、天狗とあだ名される絵師がいた。この良秀には親には似もつかない愛敬のある娘がいた。そして、横道者の良秀も一人娘だけは、気違いのようにかわいがっていた。その良秀が、堀川の大殿様に地獄変の屏風を描くように依頼された。良秀は早速、地獄変の制作にとりかかるが、どうしても描けないところがあった。そこで、良秀は大殿様にあるお願いをすることにした。
「私は屏風の中に、牛車の中で一人の艶やかな女が、猛火の中に黒髪を見出しながら、悶え苦しんでいるところを描こうと思っています。しかし、それが私にはどうしても描けませぬ。どうか牛車を一両、私の見ている前で、火をかけて頂きとうございまする。そうしてもし出来まするならば・・・」
大殿様はけたたましく笑いながらこう云った。
「おお、万事その方が申す通りに致して遣わそう。出来る出来ぬの詮議は無益の沙汰じゃ」
二三日の後、大殿様は約束通り良秀の目の前で牛車に火をかけることになった。もちろん、牛車の中には女が乗っている。侍が大殿様に云われて良秀に簾を揚げて女の顔を見せた。するとそれは、な、なんと良秀の娘であった。それを見た良秀は、車の方へ思わず走りかかろうとした。が、娘を乗せた牛車は大殿様のかけ声とともに火をかけられ、炎々と燃え上がってしまった。娘もろとも。
その後、1ヶ月ばかり経って、地獄変の屏風は完成する。次の夜に良秀は自殺した。
とまぁ、こんな話だ。この中で横川の僧都様ってのが出てくる。往生要集を書いたあの源信のことだ。その源信の話が印象深い。
「如何に一芸一能に秀でようとも、人として五常をわきまえねば、地獄に堕ちる外はない」と云いながらも、いざ屏風の画をみると、その余りのリアルな出来映えに、思わず手で膝を打って「出かしおった」と云ったという。
人の不幸に同情しながらも、恐いもの見たさというか興味本意で、TVのワイドショーや週刊誌を見てしまう現代のおまえたちの姿に似てなくないか。戻る 孤独地獄 芥川が母から聞いた話として、ひとりの僧侶、禅超が云った中に孤独地獄の記述がある。
「仏説によると、地獄にもさまざまあるが、およそまず、根本地獄、近辺地獄、孤独地獄の三つに分かつ事が出来るらしい。それも南臍部州下過五百喩繕那乃有地獄という句があるから、大抵は昔から地下にあるものとなっていたのであろう。唯、その中で孤独地獄だけは、山間廣野樹下空中、何処へでも忽然として現れる。いわば目前の境界が、すぐそのまま、地獄の苦げんを現前するのである。自分は二三年前から、この地獄へ堕ちた。一切の事が少しも永続した興味を与えない。だから何時でも一つの境界から一つの境界を追って生きている。勿論それでも地獄は逃れられない。そうかと云って境界を変えずにいれば猶、苦しい思いをする。そこでやはり転々としてその日その日の苦しみを忘れるような生活をしていく。しかし、それもしまいには苦しくなるとすれば、死んでしまうよりも外はない。昔は苦しみながも、死ぬのが嫌だった。今では・・・」
そして芥川龍之介自身、最後にこう結んでいる。
「或る意味で自分もまた、孤独地獄に苦しめられている一人だからである」戻る