滋賀県大津市にある来迎寺(らいごうじ)は、現在は紫雲山聖衆(しょうじゅ)来迎寺と称する天台宗の古刹である。寺伝では長保3年(1001)、「往生要集」の著者、恵心僧都源信の創建と言われている。織田信長の比叡山焼き討ちの際に難をまぬがれたこともあって多くの什宝を蔵している。なかでも有名なのは、国宝に指定されている15幅の六道絵である。
六道絵
これらの絵には題辞が付けられている。一例として等活地獄と題された絵には、鉄の爪で引き裂きあう罪人、鉄棒で容赦なく罪人を打ち砕く赤鬼・青鬼の獄卒、刀の林の中を逃げ回り岩山に押しつぶされる罪人など、凄惨な光景が、地獄の猛火を背景に活写されている。この他、地獄はじめ六道の苦しみなどが各絵に次々と展開している。その内容はほとんど往生要集によるものであり、往生要集を読めぬ人のために、やさしく理解させる「絵とき」として制作されている。 絵の由来
六道絵は来迎寺の寺伝によれば、もともと30幅からなる十界図の一部だと言う。また、江戸時代の享保3年(1718)に書かれた源信の伝記「横川僧都源信和尚行実」によれば、源信の往生要集を読んで感銘した円融天皇の后、天禄皇后が、字の読めない民衆のため、絵図にするよう源信に進言したのが由来とされている。そして、源信が画家の巨勢金岡(こせのかなおか)に描かせたのが十界図だとしている。
そして、同じく江戸時代の慶応2年(1866)に作られた「恵心僧都絵詞伝」によると、30幅あった十界図は、信長の比叡山焼き討ちにより15幅消失して、六道絵だけが現存したとしている。
しかし、戦後になって、以前使用されていた古い軸木に記された修理銘が発見されて、来迎寺十界図はもともと15幅からなる鎌倉時代中期の作で、源信ゆかりの横川霊山院旧蔵の六道絵であったことが判明した。最初の修理の鎌倉時代、正和2年(1313)の修理銘に、「六道之絵像十五幅之内、叡山横川霊山院霊宝也」と記されていたのだ。
円融天皇の后、天禄皇后が往生要集に触発されて描かせたという伝承は、江戸時代になってから形成されたものであろう。戻る
聖衆来迎寺
(077)578-0222 JR比叡山坂本駅徒歩15分、京阪坂本駅徒歩 20分
R161、湖西道路「坂本北IC」
@最澄の開基のち、源信が再興
国宝の六道絵の他多くの重文があり、毎年8月16日の虫干会は有名
A有料(事前申込)
B駐車場あり戻る
00/02/17